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遣唐使がもたらした?「ウメ」

 京都府立植物園(左京区)によると、梅はもともと中国原産の花。日本には中国が唐の時代に遣唐使や修行僧らによって種苗がもたらされたと推測される、という。

 その唐の時代に、中国では、冬の寒さにも緑を保つ松と竹、そしてどの花よりも早く花を咲かせ香りをただよわせる梅の「松竹梅」を総称して、「歳寒の三友」と呼んだ。それまで実を薬や食用にするためにもっぱら栽培されていた梅が、観賞用として育てられるようになったのも、この時代のころからとみられる。

 梅の読み方が「ウメ」となったのには諸説あるが、薬物として中国から最初に渡来した梅「烏梅」の発音が中国読みで「ウメイ」であることから、いくつかの変遷をへて「ウメ」となったというのが現時点では最有力という。

 梅は学名を「Prunus Mume(プルーヌス ムメ)」という。名付け親の一人が、かのシーボルト。その普及度から梅を日本の原生種と考えたようだ。

 日本に流入した梅は、当初は白梅だけだった。紅梅は仁明天皇の時代(833−850年在位)に仁寿殿前に植えられたのが最初といわれ、その後は紅梅も広く普及していった。

桜より梅が主流の歌の世界

 梅は古来、詩歌の主要な題材でもあった。日本で初めて文献に登場するのは最古の漢詩集・懐風藻(751年成立)。葛野王の作で、「春日鶯梅(おうばい)を翫(はや)す」という詩だ。これ以前の日本書紀や古事記には梅はまったく出てこない。

 懐風藻より後に編さんされた万葉集に、太宰府の長官だった大伴旅人が、天平2(730)年に観梅の宴を催した時に詠んだという歌がある。「我が園に 梅の花散るひさかたの 天(あめ)より雪の流れくるかも」。万葉集で詠まれた花の最多は、萩(はぎ)の約140首。梅が約120首で続き、桜はといえばわずか40余首にとどまる。

 菅原道真公は、5歳で「美しや 紅の色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある」と詠んだ。また、11歳で「月夜に梅花を見る」という漢詩を作る。さらに太宰府へ左遷される直前に詠んだとされる「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」は、自邸の庭の梅の一枝が道真公を慕って太宰府へ飛んでいった、という「飛梅(とびうめ)伝説」を生んだ。

 平安遷都の折、御所の紫宸(ししん)殿前に橘(たちばな)と梅が植えられ「右近の橘」「左近の梅」と呼ばれた。一説では、その後、村上天皇の時代(946−967年在位)に皇居が火災で焼失、梅も焼けてしまい、替わりの梅を献上した紀貫之の娘が梅との別れを惜しみ「勅なれば いともかしこし鶯(うぐいす)の 宿はと問わばいかが答えん」と詠んだ。感銘を受けた村上天皇が梅を返して桜を植え、「左近の桜」となったとされる。

 小野小町の「花の色は うつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」の花は、収められた古今集の配列から桜とみるのが有力。だが、小野地区は古来、梅の里とされてきたことや、時代背景から「梅であってもおかしくない」と隨心院の亀谷執事。

 江戸期の国学者・本居宣長は、梅宮神社に梅を献木した際に、「よそ目にも その神垣とみゆるまで 植えばや梅を千本八千本」という歌を添え、それが今日まで同宮に伝わっている。

梅アラカルト

 京都の主な梅園(苑)、梅林と公開期間などを紹介する。

 〈北野天満宮〉梅苑が公開中、3月下旬まで。午前10時−午後4時。大人500円、小学生以下250円。梅苑外の境内の梅は見学自由。

 〈隨心院〉3月1日−4月1日に梅園が公開。午前9時−午後4時半。大人400円、中学生300円。

 〈梅宮大社〉梅苑含む神苑を常時公開。午前9時−午後5時。大人500円、小・中学生250円。梅苑外の境内の梅は見学自由。

 〈二条城〉城内の南西部に梅林。午前8時45分−午後4時(閉城は午後5時)。入場料は大人600円、中・高生350円、小学生200円。

 〈京都御苑〉外苑南西部や蛤御門付近に梅林。見学自由。

 〈府立植物園〉園内に約60種150本の梅。午前9時−午後4時(閉園は午後5時)。大人200円、高校生150円、小・中学生80円。

 〈青谷梅林〉2月25日から3月18日まで、城陽市中中山の梅林で「梅まつり」を開催。午前10時−午後3時。無料。

[京都新聞 2006年2月26日掲載]