kyoto shimbun 1999.3.15 


















峰山高校
き ず な(下)

 「あいつら本当に仲がいい。チームワークならその辺の学校より断然、強い」。川原ら峰山高九人の二年生を、前主将の山本秀之(18)はそう語る。

 九人が一年生だった時。練習後はだれともなく誘い合い、全員で自主トレを始めた。球拾いや道具の後片づけもさぼらず、そろって黙々と体を動かす。内野手野波義寿は「つきあいが古いから。全員で行動できる。野球以外でも本当に気が合う」。今も弁当は全員そろって同じ教室で食べる。

 プロ選手5人を輩出

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雪でグラウンドが使えない日が何日も続いた。もどかしい気持ちを振り切るように、一球に集中する
 峰山には大正時代に早くも社会人の硬式チームが生まれ、戦後は同高野球部OBらが少年野球の指導者となって普及に力を注いだ歴史がある。同部は野村克也(南海)や広瀬新太郎(大洋)ら五人のプロ選手を輩出、町内には今も五箇ジュニアーズなど六つの少年野球チームがひしめく。峰山高を軸として根付いた野球文化の空気を吸って、丹後の野球少年は育つ。

 そんな野球どころに生まれた九人をまとめるのが主将の石田昇三だ。石田は昨夏、部員の投票と監督、部長の指名でキャプテンに選ばれた。峰山中でも主将だった石田は「小さいころから知っているメンバーばかり。やりやすいんです」。言葉よりも、練習に率先して取り組む姿勢でナインを引っ張る。

 地域の熱い視線

 峰山高野球部は一九四六年の創部以来、地域の熱い視線を集めてきた。六二、七九年の二度、夏の府大会で決勝進出を果たしたものの平安と宇治(現立命館宇治)に敗れ、甲子園には手が届かなかった。

 それだけに、選抜出場がかかる昨秋の府大会や近畿大会での快進撃には、破裂せんばかりの期待が寄せられた。試合は接戦苦戦の連続、綱渡りのようだった。「(ナインの)いいところも悪いところも全部知っている。他校では、そうはいかない」。そう思って、川原は投げた。角江は「辛い時にみんなで声を出し合える。それが、このメンバーなら自然にできる」。小さいころから野球を通じて培われたきずなが粘りを呼び、一歩ずつ夢に近づいた。

 峰山球場のグラウンドキーパーを務める野球部OBの中道啓悟(35)は「野球に携わる仕事がしたかった。峰高が甲子園に行くのが目標の一つだったし、この仕事を選んだ大きな理由」と我が事のように祝福する。町内を歩くと「祝・甲子園出場」などの張り紙が目に入る。地域の喜びが、商店の窓ガラスに踊る手書きの太い文字ににじむ。

 野球部に部室はない。雪の日に練習できる立派な施設もない。コーチも、マネジャーもいない。でも、同じ夢を見る仲間がいる。昔、小さな空き地で白球を追ったころから温めてきた「峰高で甲子園」という大切な夢を。  午後六時。小さなライトで照らしたボールを打つ音だけが校舎に響いた。「峰高の野球部が好きです。この雰囲気が」。練習を終えた石田が、そっとつぶやくように話した。

▼キャプテン・平安(上)
▼キャプテン・平安(下)
▼きずな・峰山(上)
▼道心寮・比叡山(上)
▼道心寮・比叡山(下)

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