1. 9球の降板 柔軟な関節もろ刃の剣
好投の代償 大きく

 最終テストは、わずか9球で終わった。  10月24日、埼玉県戸田市のヤクルト戸田球場で行われたコスモスリーグ(教育リーグ)のヤクルト−近鉄戦。六回から2番手投手として登板した伊藤には、確かな手応えがあった。
現投続行が決まり、シーズン終了後も自主トレに励む伊藤(埼玉県戸田市・ヤクルト戸田寮)

 実戦の投球は、昨年4月の阪神との公式戦以来、実に1年6カ月ぶりだった。先頭打者はカウント2−2から136キロのストレートで見逃し三振に打ち取った。「球は走っている」。自信を持って迎えた次打者への初球。右肩に強い痛みが走り、白球は大きくすっぽ抜けた。右肩関節の脱きゅう。治ったと思っていた肩の故障が再発した。「これ以上は無理やな」。自ら降板した。復活をかけたマウンドはあっけなかった。

▽待遇関係ない

 2年契約の最後の年だった。11月6日、球団から「戦力外」を通告され、ヤクルト本社職員への転身を打診された。「現役を続けたいが、自分からやりたいと言えない」。最近2シーズンを実質、棒に振っている。自分の置かれた立場は痛いほど分かっていた。

 報道で通告を知った捕手の古田敦也から電話が入った。「相談に乗るからもう少し頑張れ。おれたちも動くから」。それで気持ちは決まった。

 14日、球団の多菊善和社長と話し合った。再び本社職員への転身を勧められたが「もう一度チャンスがほしい」と、ストレートに気持ちをぶつけた。情熱に押され、球団が譲歩した。1年契約で年俸は今季の8000万円から80%以上ダウンするが「待遇は関係なかった」。一度、戦力外通告された選手が、同じ球団でユニホームを着続けるのは異例のケースだ。

 伊藤のプロ生活は故障との戦いだった。右肩を3度手術したほか、右ひじ、右太ももと、毎シーズンのようにどこかを痛めた。プロ10年で127試合に登板、通算成績は37勝27敗25セーブ。2・31の防御率を誇るが、勝利数は1999年、2000年の8勝が最多で、2けたの勝ち星を挙げたことはない。ヤクルトの右腕エースながら、故障でフルシーズン、プレーしたことがなかったからだ。

 故障でチームを離れる度に孤独なリハビリが待ち受けていた。昨年7月には、米国クリーブランドで穴が空いた右肩の筋肉を縫合する手術に踏み切った。今年1月まで米国でリハビリを続け、帰国後は2軍選手や故障組がトレーニングする球団の戸田寮(戸田市)で復帰を目指した。

▽自ら登板求め

 10歳以上年の離れた若手たちに交じり、ランニングやストレッチ、筋力トレーニングを続ける単調な毎日。7月に捕手を座らせて本格的な投球ができるようになったと思えば、8月の1カ月間は足に張りが出て投球を休んだ。歩みは遅かったが「野球ができる喜びの方が大きかった」。

 コスモスリーグは志願の登板だった。「シーズンが終わるまでに一度は(実戦で)投げたかった。自分の体は自分が一番よく分かっている」。まだ万全の状態ではなかった。抑え気味に投げるつもりが、久々のマウンドに立つと力が入り、テークバックを大きく取りすぎた。投手としての本能だった。

 「投球動作で肩が抜けるのは聞いたことがない」。伊藤のリハビリを指導するコンディショニングコーチの谷川哲也は驚いた。肩の可動範囲を広げるために、肩関節が緩くなる「ルーズショルダー」に悩む投手は多い。伊藤の場合は生来、人一倍、関節が柔かい。それが投球を支える一方で「もろ刃の剣」として故障の引き金になった。(敬称略)

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