Kyoto Shimbun 1997.12.16
 第5回全国中学駅伝に寄せて  (1)

「しんどくても頑張って」と話す
藤村(大阪府池田市のダイハツ 
石橋寮で)          

 私の中学時代

   藤村 信子 (ダイハツ)

 23日に滋賀県野洲町の希望が丘文化公園で行われる第5回全国中学駅伝(日本陸連、日本中体連、滋賀県など主催、京都新聞社など後援)の号砲まであと1週間に迫った。世界の舞台で活躍する京都、滋賀出身のトップランナーに、全国から集うポープたちへのメッセージを込め、自分の中学生時代を振り返ってもらった。

(運動部 万代憲司、行司千絵)



 自分の力を信じて
 負けず嫌い。家に帰ってから隠れて練習した

 小学校では毎朝、全校でグラウンドを走っていました。100メートルのコースを学年の数だけ周回するんです。いつも男子と1位を争っていました。冬の寒い日も半ズボン、半そでで嫌がる子も多かったけれど、私は走るのが楽しみでした。

 短距離も得意で、6年の時には中学に遊びに行って陸上部の練習に参加していました。だから、中学では自然に陸上部へ入りました。やっていたのは短距離。当時は100メートルしかない、という気持ちだった。

 負けず嫌いなので、家に帰ってから隠れて練習しました。古いタイヤを引っ張ってケンケンをしたりダッシュをしたり…。3年の時、亀岡市の大会でずっと勝てなかった子に100メートルで勝ててすごくうれしかった。京都府大会では6位、100メートルのベストは13秒5でした。

 南丹高でも短距離を走り、3年の時、インターハイの400メートルで7位に入りました。でも、トップの人と力の差が歴然としていて、自分の持ち味が出し切れないように感じていました。

 長距離を始めたのは、高校3年の冬に全国都道府県対抗女子駅伝に出たのがきっかけです。実は、2年の時に第1回大会の補助員をしていて、増田明美さんがトップでひゅーっと走って行くのを見て、「すごい。ああいう人になりたい」とあこがれていました。

 駅伝は、あっという間に終わる短距離と違い、華やかさがありました。頑張っている姿を見てもらえるのがすごい魅力でした。少しずつ力を上げ距離を伸ばし、マラソンを走るようになった。自分では自然な形で進んできたと思います。

 今の中学生はすごい練習量をこなし、レベルも上がっています。素晴らしい指導者も増えました。中学の時は、まだまだ伸びる可能性があります。だから「ここまでしかできない」と線を引かないで、自分の力を前向きに信じてほしい。しんどくても、もうちょっと頑張って何事にも取り組んでほしい。


 ふじむら・のぶこ 京都府亀岡市・南桑中では短距離選手。南丹高でインターハイ400メートル7位に。大体大を経てダイハツに入ってから、本格的に長距離に挑戦した。マラソンでは94年の広島アジア大会で銅メダルを獲得、今年の世界選手権代表にも選ばれた。ベストは2時間26分9秒。31歳。

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