アーチェリーの元世界銀メダル・亀井孝が現役生活続ける

■至高求め 鍛錬の道歩む

 かめい・たかし 1954年、京都市中京区生まれ。73、77、79年の世界選手権出場。同志社高、同大、ヤマハなどを経て、87年から梅花女子大学職員。京都府アーチェリー連盟理事。京田辺市在住。

 1970年代の後半、日本アーチェリー界がひときわ輝いた時期がある。77年に豪州のキャンベラで行われた世界選手権。社会人1年目だった23歳のとき、日本人選手として初めて同大会で個人銀メダルを獲得した。「希望だけはあった時代。次へ、次へと目標が見えた」。恵まれた練習環境ではなかったが、がむしゃらに打ち込んだ成果だった。

 毎日午前4時に母校である同志社高の練習場に立ち、車のヘッドライトを照らして的を狙った。練習を終えると京都市内の会社に出勤。午後7時までみっちり働いた後、再び練習場に戻って汗を流した。前年の76年モントリオール五輪で同大の道永宏が日本初の銀メダルを取り、注目度も高かった。「本気で金メダルを目指していた」

 「普通の中学生」が、高校でアーチェリーに出合った。好奇心で始めると、すぐに夢中になった。いきなり1年秋の近畿大会で優勝し、3年でインターハイを制した。「アーチェリーはあくまで個人競技。的に当たっても外れても自分の責任」という競技性が気に入っている。「自己中心的でわがままな自分の性格に合っている」と冷静に自己分析する。

 世界選手権で銀メダルを獲得後、実業団のヤマハに移った。毎年のように全米選手権に出場するなど、世界のトップにこだわり、海外選手らと競い続けてきた。今も現役を退いたわけではなく、55歳の自分を高められる大会を見つけては出場する。

 「一人のアーチャー」として練習を続ける一方で、立命大のコーチとして若い選手の指導にもあたる。近年は用具の性能が向上し、選手の技術を補って上位に入る例もあるという。でも求めるのは偶然の勝利ではなく、極限までの努力と技術だ。「若い人には本気で世界を、金メダルを目指してほしい」。自らを超える選手の登場と、黄金時代の再来を願っている。

(2009年6月13日付け夕刊紙面から)

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