バスケットボールの洛南高OB、竹内兄弟の紹介

■バスケ再生へ切磋琢磨

 ともに身長は205センチ。それでいて、鈍重に映った旧来の日本の大型選手とは大きく異なる。走力と器用さを持ち合わせる大阪生まれの二卵性双生児、ともに洛南高出の竹内公輔(アイシン)と譲次(日立)。
 23歳2人の奮起が、日本バスケットボール界の長引く低迷打破の鍵を握る。

漫画感激同じ道に

1月の全日本総合選手権準決勝で対戦する日立・竹内譲次(左)とアイシン・竹内公輔=代々木第二体育館

 お互いへの負けじ魂をエネルギーに自分を磨いてきた。中学に入学し、そろってバスケットボール部へ。譲次は170センチ超の長身を生かそうと競技に打ち込んだが、公輔は間もなく「友だちが多くいた」卓球部に移る。

 2年後、高校バスケが舞台の漫画「スラムダンク」に感激。185センチに伸びた体を丸めて行う卓球が窮屈だったわけでなかったが、弟が「比較される」と嫌がるのを押し切って同じ道を志した。

 ともに将来性を見込まれて進んだ京都・洛南高で徹底的に張り合った。練習で「あいつより先に走る」(公輔)に始まり、米プロリーグのNBAや実業団選手の映像から動きを競ってまねた。登下校までいつも別。洛南高の作本信夫雄監督(60)は「譲次が競技を先にやった分、器用さがあった。公輔は兄貴の意地で食らい付いた」と切磋啄磨(せっさたくま)を懐かしむ。

 互いの力量や特長を知る兄弟は息の合った連係で「ツインタワー」の異名を取った。3年で国体と全国選抜優勝大会を制したが、進学先は別にすることで一致した。東海大を選んだ譲次は「負かしてやろうという気持ち」。公輔は「一緒なら敵無し。それはおもろない」と慶大へ。その後は4年時の全日本学生選手権決勝や日本リーグで、火花を再三散らしている。

世代交代の象徴

 2人とも在学中に日本代表に定着。日本開催の2006年世界選手権で指揮を執ったジェリコ・パブリセビッチ監督(57)が積極的に進めた若返りの象徴となった。このクロアチア人から「特別な才能」と評価された譲次は「自分の殻を破らせてくれた」と感謝する。

 毎夏、欧州で異例の長期合宿が組まれ、過酷な走力強化や基本の反復練習が課された。手を抜けば監督の怒号が飛ぶ中、譲次は外角シュートや不得手だったドリブルを上達させた。競技歴が短い公輔には土台を固める好機となった。

 世界選手権は1次リーグで敗退した。だが、NBA選手らとの力量差を肌で感じた公輔は「世界に追いつけるまでは満足できない」と意識を高めた。譲次はパブリセビッチ監督の「アンビション(野望)が無ければ人間は成長しない」という言葉を心に刻み、昨年開設したブログのタイトルにも引用している。

海外へ広がる夢

 大学卒業後はそれぞれプロ契約を結び、この秋、2シーズン目となる日本リーグが開幕した。体重98キロと厚みを増した公輔は外国人選手に当たり勝つ場面が増えた。ゴール下の位置取りが巧みになった譲次は「海外でやるのが一つの夢」と胸躍らせる。

 日本男子は北京五輪予選を兼ねた昨年のアジア選手権で史上最低の8位に沈み、1976年モントリオール大会以来の五輪出場をまたも逃した。前日本代表監督でアイシンの鈴木貴美一監督(49)は「次の代表は竹内兄弟を中心としたチームづくりが必要」と指摘する。譲次は「負けから何を得るか」と前を向き、公輔は「日本のバスケットを変えていきたい」と力強い。志高く、期待と重圧を2人で支え合う。

(2008年11月20日付け紙面から)

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