情熱ハートストーリーズ
(4)谷内聖樹(全大津野球団)

■夢追い続け たどり着いた「奇跡」

 昨年11月の皇子山球場で、プロ野球の元近鉄投手、谷内聖樹(36)はセンターの守備に就いていた。滋賀の社会人クラブチーム、全大津野球団の一員として臨んだ京都府秋季大会。センターフライを捕球し本塁まで返球すると、左肩に突き刺すような痛みが走った。「このチームを強くして勝たせたい。全国に行く手助けができたら」。今は全日本クラブ選手権出場を最大の目標に掲げている。

「君を来年の戦力とは考えていない。打撃投手にならないか」。1999年秋。大阪市内のホテルの一室で、球団側から告げられた。「ついにオレにも来たか」。9年間、1軍と2軍を行ったり来たり。毎年、秋になると2軍で一緒に戦ってきた仲間が去り、言いようのない不安に襲われた。左肩に痛みを抱え、球団には黙って鍼灸(しんきゅう)院に通っていた。その矢先の通告。「左肩さえ治れば」と、現役を続ける気持ちを捨てきれないまま近鉄を去った。

 速球で勝負できる投手ではなく、くせのあるスライダーが武器の左腕。西京商高(現西京高)でも絶対的なエースではなかった。3年夏の京都大会は3回戦で敗れ、野球はやめようと思っていた。ところが、兄に誘われて参加した近鉄のトライアウトに合格しプロへの道が開けた。「信じられなかった。何の実績もない自分がプロ野球選手になるなんて」。テスト生として90年に入団し、翌年に正式契約した。

 1軍デビューした試合は鮮明に覚えている。94年のオリックス戦。ブルペンから初めて向かった1軍のマウンドはまぶしく、「頭の中は真っ白だった」。敗戦処理ながら相手の攻撃を3人で抑え、かつてない高揚感を味わった。

 近鉄を去ると2000年に広島に入団したが、登板機会はなく不完全燃焼のまま終わった。再び1軍のマウンドに立つために、各地を回ってプロ球団のトライアウトを受け続けた。必死で夢を追いかけていた当時、個人練習をする場所を貸してくれた全大津野球団との出合いが大きな転機になった。

 選手は会社員、大学生、フリーターとさまざま。当時は大学のグラウンドを借りて練習していた。仕事や授業を終えて駆け付ける選手もいたが、汗まみれになって白球を追っていた。金銭とは関係なく、自分たちの目標を目指してひたむきに努力を続けるナインがいた。「みんな一生懸命にやっている。純粋に野球が好きなんだな」。グラウンドで泥だらけになった、子どものころの記憶がよみがえってきた。プロのマウンドだけに執着してきた考え方が変わり、03年にチームに加わった。

 元プロである谷内を、全大津ナインは温かく迎えてくれた。当初はエースとして引っ張り、左肩の痛みが激しくなった今は外野手に転向し打撃でチームに貢献している。プロ入りを目指す若手には自分の経験を伝えて励ます。独立リーグで夢破れて、再び戻ってきた選手もいる。「こんな懐の深いチームはない。力になりたい」。最後にたどりついた場所に深い愛着を感じるようになった。

 今まではプロ時代の蓄えとアルバイトで生活してきたが、先日、柔道整復師の資格を取った。「けがの経験は豊富だから」と柔和な笑顔を浮かべながら、開業に向けて準備を進めている。「自分の人生、野球を中心にして奇跡の連続だった。こういうチームに出合えるなんて、まだ奇跡が続いている」とうれしそうに言う。「どこにいたって野球はできる。みんなやっているよ」。小学4年生から走り続けている野球の道は、まだ終わりそうにない。

やち・まさき
 1972年4月、京都市北区生まれ。西京商高卒。近鉄時代は9年間で20試合に登板し、通算成績は0勝1敗。2軍では98年に無安打無得点試合を達成。全大津野球団(大津市)では、社会人野球の滋賀県ベストナインを2度受賞。京都市北区在住。

(2009年4月28日付け紙面から)

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