情熱ハートストーリーズ
(7)梅村麻弥(佐川急便ソフトボール部)

■廃部乗り越え、多くの支えに感謝

 飛んできたボールに素早く反応してさばき、軽快なステップで一塁へ送球する。「こんなに恵まれた環境で、ソフトボールができるのが信じられない」。日本リーグ女子1部に所属する佐川急便(京都市)の遊撃手、梅村麻弥(25)は言う。チームの中核選手に成長した今、プレーできる幸せをかみしめている。

 小学4年から競技を始めた。明徳商高(現京都明徳高)を経て日本リーグのユニチカ垂井(岐阜県)でプレーした母すぎ子さん(52)とのキャッチボールが楽しかった。幼いころから女手一つで育て上げられたが、「苦労はなかった」と笑顔で話す。母のかつてのチームメートが自宅を訪れては遊んでくれたからだ。「実の親以外にも育ての親がいました」。中学、高校入学時にソフトボールを続けるかどうか悩んだが、熱い声援が後押しになった。

 滋賀女子高3年の夏。インターハイ県予選の準決勝で敗退し、ソフトから離れることを決めた。だが、思わぬ転機が訪れた。県代表に選ばれた国体でベスト8に進出し、「初めて勝つ喜びを知った」。もう少し続ける意欲が出てきた。

 進学した甲賀健康医療専門学校(甲賀市)で外野手から遊撃手に転向し、豪快にバットを振り切る打撃練習に力を入れた。「プレーの幅が広がり、ソフトが本当に楽しくなった」。日本リーグ1部の強豪ミキハウス(大阪府八尾市)のグラウンドで練習をした際、山根淳一監督(51)=現佐川急便監督=の目に止まり、ミキハウスに入社した。

 あこがれの1部リーグ。「無我夢中」で過ごしたルーキーシーズンが終わりかけた2004年10月、ミキハウスは廃部を発表した。「頭が真っ白になった」。選手の移籍先を必死で探した山根監督らの努力もあって、発足した佐川急便で3部からの再スタートを切ることになった。

 専用グラウンドがあったミキハウス時代とは大きく環境が変わり、東京都内の公共グラウンドを渡り歩いて練習した。1年目に3部で優勝。チーム拠点が関西に移った翌年は2部優勝を飾り、悲願の1部昇格を果たした。

 1部になるとチームは強化に着手し、同じポジションを競う期待の高卒新人が入ってきた。試合では5歳下の後輩と交互に起用されて力を試された。実力の世界。「乗り越えるための壁なんだ」と自らに言い聞かせても、重圧に押しつぶされそうになった。

 支えてくれたのは、応援に駆け付けてくれる母の旧友たちだった。東北や九州での試合会場。出場できなかったのに、「また来るね」と声をかけてくれた。申し訳ないと思いつつ、同時に「頑張ろう」と勇気がわいてきた。

 1部昇格まで苦難をともにした監督やコーチ、仲間の存在も大きかった。心が折れそうになったとき、「ソフトボールができることに感謝しなさい」という山根監督の言葉が心に響いた。「自分本位で考えすぎていた。多くの人の支えがあってプレーできていたのに」と謙虚に考えるようになった。

 今季は開幕から先発出場を続けている。好守備を見せても派手なポーズはしない。でも本塁のクロスプレーでは闘志を込めたヘッドスライディングを披露する。「こつこつ頑張っている。まだまだ伸びる」と山根監督は目を細める。「ソフトボールをしていなければ自分自身、成長できなかった。私にできる恩返しは一生懸命に打ち込むこと」。表情をきりりと引き締めた。

うめむら・まや
 1983年生まれ、京都府精華町出身。草津中、滋賀女子高(現滋賀短大付高)などを経てミキハウスに入社。05年に佐川急便へ。昨季は21試合に出場、47打数10安打2打点。

(2009年5月26日付け紙面から)

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