ひと模様 五輪へ 木村千恵(ホッケー)とともに 伊吹の伝統 心に秘めて

2度目の五輪となる北京で、メダル獲得を目指す木村千恵(天理市・親里ホッケー場)
和田明日香さん
伊吹高元監督の門杉信一さん

 北京でメダル獲得を目指すホッケー女子日本代表の木村千恵(ソニー一宮)は、「ホッケーの町」滋賀県・旧伊吹町(現米原市)で育った。日本代表として151試合に出場。28歳の円熟期で2度目の五輪に挑む木村を、ふるさとの関係者は期待を込めて見つめる。

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 旧伊吹町は1981年のびわこ国体でホッケー会場になったのを機に強化に取り組み、小学校から高校まで全国上位を争うチームがそろう。木村も小学校4年から春照スポーツ少年団で競技を始め、すぐ頭角を現した。
 「小学校で練習していたので、小さいころからホッケーが身近にあった。千恵ちゃんは小柄だけどパワフルで、ドリブルで何人も抜いていた」。同スポ少と伊吹山中で一緒にプレーした大東中教諭の和田明日香(28)=米原市=は懐かしそうに話す。
 遊びの延長で始めながらも、自然と日本一を目指す日々。同スポ少で指導した瀧上正志(46)=現聖泉大監督、米原市役所=は「木村は休憩時間も一人で練習していた。ドリブルがうまいだけでなく、何でもできた」。
 木村らの学年は小、中学校でともに全国制覇を達成。「やりきった感じがあった」と話す和田は、強豪の伊吹高には進まず大学でホッケーから離れた。中学のチームメートで今も競技を続けるのは木村だけだ。
 「彼女は小学校の卒業文集に『日本代表になりたい』と書いた。その夢をずっと持ち続け、頑張ってきた千恵ちゃんはすごい」とたたえる。
 伊吹山中で11年間監督を務めた田辺政治(46)=野洲市=にとっても、木村は印象深い生徒だ。「勝ちたい気持ちが誰よりも強い。一日中、百パーセントホッケーのことを考えていた」
 前任の日野中ではサッカー部顧問で、ホッケーの指導は初めて。「教えたのではなく、彼女が自分で育った」と控えめだが、「日本一が単なる夢ではなく、近い目標としてあるのが伊吹の伝統」と語る。
 現在は守山中に移り陸上部顧問。「小さな町からこれだけホッケーの日本代表が出るなんてほかにはない。地元の注目度は高く、誇りを持って頑張ってほしい」と見守る。
 伊吹高に進んだ木村は1年から試合に出場しインターハイ優勝。だがその後、部員不足で試合に出るのが困難になり、2年から岐阜女商高(現各務野高)に転校した。
 監督だった門杉信一(55)=現米原高監督=は「あの時は自分も伊吹で14年目。いつ転勤するか分からなかったので『必ず部員を集めるから』と木村を引き留められなかった」と振り返る。
 門杉は83年、伊吹高開校と同時にホッケー部をつくり、インターハイと春の選抜、国体で計11度の優勝を誇る強豪の基礎を築いた。「伊吹は小、中で全国優勝しており、国体の成年でも勝った。あとは高校と大学をつなぎ、国体後もホッケーを根付かせようという思いがあった」
 旧伊吹町では「小学生のほとんどがホッケーをやっていた時期もあった」というが、最近は少子化やスポーツの多様化で競技人口は減っている。それだけに「木村が五輪でいいプレーをしてくれれば、それが小中学生に夢を与え、伊吹のホッケーがより活気づく」と期待する。
 「常喜さんがいたから、自分も目指すなら代表だと思った」と木村が語るのが現日本代表GKコーチの常喜浩幸(40)=米原市役所=。伊吹高の1期生で、天理大を経て伊吹町役場に勤務している時、町から初の日本代表に選ばれた。国際試合に出場しながら、スポ少の練習に顔を出して木村らを教えた。
 「第2世代」といえる木村の五輪出場を喜びながら「伊吹でホッケーが始まってまだ30年ほど。自分の代表経験を地元での指導に役立てて、より発展していくようサポートをしたい」と力を込めた。=敬称略

(2008年6月25日付け紙面から)

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