五輪へ 斎藤里香(重量挙げ)とともに

■陸上から転向、才能一気に

京都出身者として初めて五輪の重量挙げに出場する斎藤里香

 重量挙げ女子69キロ級の斎藤里香(25)=金沢学院東高教諭、立命大出=は舞鶴市の出身。中学まで陸上競技の選手だったが、加悦谷高で本格的に競技に取り組むと、わずか3年で全日本選手権を制覇。その後も努力を続け、京都出身の重量挙げ選手として初の五輪出場を手にした。

 インターハイの学校対抗(男子)で2004年から3連覇を飾るなど輝かしい実績を誇る加悦谷高重量挙げ部。1994年創部の同部の歴史は、その2年前に赴任した川畑勉監督(55)とともに始まった。

 西京高定時制を卒業した川畑は20歳まで、砲丸投げなど投てき種目の陸上選手として活躍した。だが「体が小さく、投てきでこれ以上頑張るのは苦しい」という思いがあった。

 パワー向上を目指して練習に取り入れていた重量挙げなら「階級制だし、自分に向いているのでは」と感じ、21歳で転向。教員を目指して入学した大体大で、自ら専門書を開きながら、腕を磨いた。27歳で教師に採用され、西宇治中で多くの選手を育てた後、京都インターハイ(97年)を見据えた強化を託され、92年に加悦谷高に赴任した。

加悦谷高重量挙げ部監督の川畑勉さん

 最初は練習場所もなく、陸上部の顧問をしながら、何とか4人の生徒を集めて同好会を発足させた。練習時間になっても現れない生徒を一人一人説得し、熱心に指導した。翌93年にインターハイに初めて選手を送り出し、94年に正式な部に認められた。

 川畑は「選手づくりは人づくり。素直な言動や礼儀を大切にし、誰からも一目置かれるような人間育成にかかわりたい」といつも繰り返す。練習メニューも基本的に選手に考えさせる。「与えられたメニューを消化する練習ではなく、自分で考えるからこそ真の自立心を備えた選手ができる」と信じるからだ。

 高校時代の斎藤は体の線が細く、食事の回数を増やすなどして必死に体づくりに取り組んだ。川畑は「練習以外の面でも、自分で考えて努力していた。性格もまじめで、人間としても素晴らしく成長してくれた」と五輪出場を祝福する。

 斎藤は田辺城の城下町だった西舞鶴で生まれ育ち、城南中では短距離選手を目指して陸上部に入った。そこで斎藤を指導し、重量挙げの道を進むきっかけをつくったのは陸上部顧問だった堺谷正人(49)=現青葉中教諭=だ。

城南中陸上部で斎藤を指導した堺谷正人さん

 堺谷は早くから、バーベルを使ったウエートトレーニングを陸上競技に生かせないか関心を持っていた。西宇治中で中学チャンピオンを育てた川畑が加悦谷高へ赴任すると、すぐに指導を打診。その後は約2週間に1度、部員を連れて同高を訪ねるようになった。

 斎藤はそこで川畑に才能を見いだされた。堺谷から見ても「バーベルを差し上げる姿勢が美しく、一瞬の動作に対する集中力も光っていた」。

 当時の斎藤は三種競技で府大会に出場。堺谷は「努力すれば将来、陸上でも全国レベルになれる」と確信していた。だが「重量挙げなら日本一になり、世界も狙える」と誘われた。悩む斎藤とじっくり話し合い、より大きな舞台に挑戦することを勧めたことを、今でも誇りに思っている。

 陸上男子四百メートルでアテネ五輪に出場した山口有希(24)=大阪ガス=は、斎藤と舞鶴市明倫小で同級生だ。洛南高から東海大へ進み、四百メートルの日本ジュニア記録を出すなど才能を開花させた。

 級友として、同じアスリートとして、立命大時代にけがで苦しんでいた斎藤の「頑張っている姿」が心に残っている。海外の大会で顔を合わせたこともあり、現在もメールで近況をやりとりする。「北京での活躍を願っている。それを自分の力にもしたい」という。 =敬称略。

(2008年7月23日付け紙面から)

あらかると SPORTS