高尾さん 新たな挑戦 生涯「サラ・プロ」宣言
8年ぶりマラソン 健在アピール 京でクラブ 経験伝授も

旭化成陸上部を退部し、サラリーマンとして新たな陸上生活に取り組み始めた高尾憲司さん(京田辺市、木津川沿いの練習コース)

 陸上のアジア大会一万メートル優勝などの実績を持つ宇治高(現・立命館宇治高)出身の高尾憲司さん(三一)=京田辺市=が旭化成陸上部を退部し、大阪へ異動。多忙な会社員生活を送りつつ、自ら京都で仲間を集めランニングクラブを作るなど、新たな挑戦を始めている。陸上部時代に2度手術した足首の影響で完全引退も覚悟したが、地道な練習を重ね2月には8年ぶりのフルマラソンを2時間21分台で走った。「サラリーマンでもプロ意識を忘れず、『サラ・プロ』として一生走り続ける」と情熱を燃やしている。

  高尾さんは高校1年で全国高校駅伝3位、3年でインターハイ千五百メートル2位。旭化成では全日本実業団駅伝で4度優勝し、一万メートルは98年のアジア大会優勝、99年世界選手権セビリア大会で18位と国内男子長距離の第一人者だった。

  シドニー五輪前年の99年6月、欧州遠征で右足首に痛みが出た。右足アキレスけんの付け根が軟骨化し「切除するしかない状態」。結局五輪を断念し2000年と04年に同じ部位を手術した。一時はチームに戻ったが「日本一の練習量」(高尾さん)を誇る旭化成の練習と、爆弾を抱えた体では練習ペースが合わず、一昨年夏、退部した。

  05年秋の異動で大阪へ。初体験する繊維部門の仕事に追われた。平日は取引先との電話や会議で切れ間のない忙しさ。しかし「サラリーマンなりに強くなれる」と、毎朝5時起きの朝や退社後に大阪城公園内などで走り続けた。2月のフルマラソン翌日も会議をこなすなど仕事最優先の中で、週末ごとに地域マラソン大会や陸上教室に出向く。昨年はランニングクラブを結成。仕事との両立を目指す仲間に豊富な経験を生かした練習法を伝授する。

  陸上への人一倍の情熱は「僕は僕一人の体じゃないから」と言う。交通事故で亡くなった中学陸上部の親友、初対面で「お前は伸びる」と入部させてくれた荻野由信・立命館宇治高監督、旭化成の仲間、家族…。「周囲の支えがなければ今の僕はない。今の環境が一気に視野を広げてくれた。一生走り続けることでお返ししたい」という。2時間21分36秒のフルマラソン記録は、今秋以降の北京五輪選考会の出場基準を満たす。目標は「もう一度、上に挑戦できたらいいな。仕事第一ですが」と笑った。

(2007年2月28日付け紙面から)


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