五輪の夢 後進に託す
ホッケー日本代表13年、山堀さん 彦根・聖泉大監督に

聖泉大男子ホッケー部の監督に就任した元日本代表主将の山堀さん(左)=彦根市・聖泉大グラウンド

 五輪出場に挑み続け夢破れたホッケー選手が、新たに指導者としてスタートを切った。日本代表主将を務めた伊吹町(現米原市)出身の山堀貴彦さん(35)。4月に発足した彦根市の聖泉大男子ホッケー部の監督に就任した。1年生部員4人と一緒に、一からのチームづくりに懸命だ。

故郷戻り「恩返し」

 山堀監督は長浜北高、天理大を経て日本リーグの強豪・表示灯に入社。2000年のシドニー、04年のアテネ五輪とも予選で敗れた。昨年4月、主将として挑んだ北京五輪の最終予選。世界ランク1位のドイツに勝てば40年ぶりの出場切符を手にできたが、0−4と敗れ、道は閉ざされた。

 13年間、日本代表の主力選手として活躍してきた。「五輪にかける思いが強かっただけに、目標を失った感じがした」。選手を続けるか、一線から退くか。心が揺れた。その時、34歳。「体力、技術面も限界だった」

 同じころ、ホッケーを通して大学の活性化を目指す聖泉大から監督就任の誘いがあった。「地元滋賀のホッケーを盛り上げたい」と決意した。表示灯を引き継いだ社会人リーグの強豪・名古屋フラーテルを昨年末に引退、今年2月末に表示灯も退社し、故郷に戻った。

 先に発足した女子とグラウンドを分け、練習している。4人は西日本社会人リーグに参戦している地元の滋賀クラブに登録し、一緒に練習することもある。山堀監督は「ホッケーを愛し、常にホッケーのことを考えよう」と自らフィールドに立ち、選手に説く。組織と戦術を重視し、選手自らが状況判断できるチームを目指す。

 彦根工高卒のDF辻功次(18)は「第一人者から教わり、うれしい。監督はプレーの意味をしっかり伝えてくれる」と話す。山堀監督は「長い間、代表でお世話になった。五輪に出られる選手を育て、恩返しをしたい」。果たせなかった夢は指導者としてつなぐ。

(2009年5月8日付け紙面から)

あらかると SPORTS