Kyoto Shimbun 2002.5
京滋日本代表 2002年の後輩へ

自分らの力を出し切れ

1974〜80年 今井 敬三さん(52)洛北高卒

 今の日本代表の試合を見る機会があったが、あれだけできればどの国ともそこそこ戦えるだろう。われわれの時代は、対戦した国と試合にならないほどの力の開きがあった。

 初代表は1974年、24歳だった。東京五輪のため、特別に作ったチームの選手が長くプレーしたことが尾を引いて、若手が育ちにくかった谷間の世代。端境期で、なかなか勝てなかった。サッカーに注目する人もごく一部。海外の試合に行った時、スタンドを埋めた観客の多さに、サッカーを支える背景の違いを痛感させられた。

 だから、ワールドカップ(W杯)は遠い世界。代表合宿へ行くと、8ミリフィルムでイングランドなどの試合をよく見た。その技術を吸収したいと思いながら、自分たちとの大きな開きを感じたものだ。だからこそ今回、生で観戦できる喜び以上に、日本がW杯を開くに足るサッカーの力をつけたことがうれしい。

 70年代当時は、代表チームを無理に作ろうとした。その時点のベストメンバーで臨むんじゃなく、素質のある選手を集め、育てようという考え方。若くして選ばれた選手は苦労したろうと思う。あまりに大きな期待を背負わされ、つぶれていく選手もいた。

 その点、トルシエ監督は、最後まで競わせてきた。選手に力を発揮させ、自信を引き出せればいい。調子のいい選手を使う、というのが代表チームとして正しい選択だと思う。代表が決まり、海外組も合流したこれからが本当のチーム作り。各国とも同じ事情だが、そこに少し不安もある。

 日本人はプレッシャーに弱い。日本代表には監督も含め、試合に集中する以外に、勝たなければというプレッシャーがかかる。代表時代に経験した、3カ月のヨーロッパ合宿では異常な精神状態だった。W杯常連チームには、国全体で受け継いできた経験がある。しかし、今の日本には欧州で戦っている中田英(パルマ)たちがおり、彼らにとってはW杯といっても普段と同じ相手だ。精神面で心配ないのは大きい。

 日本リーグ時代からクラブチームが生まれ、やがてプロ化し、現在まで一歩ずつ歩んできた。そして日本代表は未知の世界に入った。最終目標がW杯の決勝進出とすれば、その実現のために、今大会も通過点として迎えてほしい。自分のやってきたことを出せればいい。それ以上のものは出せないのだから。

 いまい・けいぞう 1950年、京都市左京区出身。洛北高−同大を経て、日本リーグの藤和不動産、後継のフジタ工業で通算9年プレー。中盤からDFを務め、MVP、ベストイレブンにもなった。日本代表で74年アジア大会、77年W杯アルゼンチン大会予選、80年モスクワ五輪予選などを経験。現在、運送会社経営の傍ら、洛北高OBチームでもプレーする。


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