確証なき無差別殺人 毒物カレー事件判決(5)
戸口には「取材拒否」  報道合戦 強い批判

 毒物カレー事件の犠牲者、林大貴君=当時(10)=の父雄二さん(48)は、今思い出しても悔しい出来事がある。事件2日後の1998年7月27日のことだ。

 大貴君の遺体を乗せた車は自宅のすぐ前まで来た。だが、待ちかまえた報道陣の列に道をふさがれ立ち往生。ようやく遺体を車から降ろしたが、おびただしいカメラのフラッシュが容赦なく浴びせられた。雄二さんらはカメラを遮るすべもなく、なんとか大貴君の顔を布で隠し、必死の思いで抱きかかえて家に入った。

 「なぜ大貴をすぐに家に入れてやれないのか。メディアを今も恨んでいる」。公判で証言した雄二さんは、報道陣への悔しさと怒りをぶつけた。

 「遺族には故人を静かにしのぶ権利はないのでしょうか。人の痛みの上に繰り広げられる報道合戦は愚かです」。母有加さん(41)も出版した本で、遺族の心を踏みにじった取材を厳しく批判している。

 毒物カレー事件は夏祭り会場でのヒ素を使った無差別殺人という異常性にマスコミが大挙して殺到、関係者のプライバシーを侵し、社会生活を妨げる集団的過熱取材(メディアスクラム)が大きな問題となった。

 「ドドドドッ」。林真須美被告(41)宅を報道陣が取り囲み始めた98年八月下旬ごろから、和歌山市園部地区の路地に地鳴りのような音が度々響きわたった。

 走って外出する真須美被告と、必死に追い掛ける報道陣の足音だ。「そのたびに心臓がドキドキした。恐ろしいことが起きたのか、と家で縮こまった」と住民は振り返る。

 事件発生後、約70戸の同地区に100人を超す報道陣が押し寄せた。次から次へと同じ質問を繰り返される住民。「勝手に塀に登られた」「隠し撮りされ放映された」。苦情が相次いだ。

 間もなく住民は外出を避けるようになり、「心身ともに疲労し大変迷惑しています」と取材拒否の紙が戸口に張り出された。過熱する取材に和歌山地方法務局や日弁連などは「人権に配慮を」と節度を求めた。

 毒物カレー事件などでメディアスクラムへの批判の高まりを受け、政府はメディア規制を盛り込んだ人権擁護法案を国会に上程。メディア側も危機感を募らせ、自主規制に動いた。日本新聞協会などは昨年12月、この問題を自主的に解決していくため、取材者が守るべきガイドラインなどをまとめた見解を公表。取材現場では「節度ある取材」の模索が続いている。

 法廷の内外に多くの問題を投げかけた事件に11日、司法の判断が下る。

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