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村井貞勝菩提寺の堀跡出土 秀吉「京都改造」で寺集積、変遷示す

豊臣秀吉の京都改造で埋められた堀跡。村井貞勝の菩提寺を囲んでいたとみられる(京都市下京区)
豊臣秀吉の京都改造で埋められた堀跡。村井貞勝の菩提寺を囲んでいたとみられる(京都市下京区)

 京都市下京区寺町通四条下ルの浄教寺の発掘調査で、本能寺の変で死去した戦国武将、村井貞勝の菩提(ぼだい)寺に築かれたとみられる堀跡が見つかった。調査した民間調査会社は、豊臣秀吉が京都改造で寺町通を整備する際に堀を埋めたとみており、洛中の端に当たる通りに寺を集積させた変遷を示すという。

 堀跡は深さ1・5メートル、幅6メートルの逆台形で、底から安土桃山時代の土器や瓦が出土した。貞勝は織田信長の京都支配を担い、本能寺の変(1582年)で信長嫡男の信忠に従い、中京区の烏丸御池北西にあった「二条殿御池城跡」で討ち死にした。翌年、菩提寺「春長寺(しゅんちょうじ)」が現在浄教寺のある一帯に建てられ、寺を囲う堀が当初あったとみられる。

 信長死後、天下を統一した秀吉は京都改造に取りかかり、1590年ごろから洛中寺院を寺町へ移転させた。堀は信長・信忠を弔う「大雲院」が移った際に埋められ、貞勝が帰依した僧侶のいた浄教寺もその後、現在地に移ったという。

 発掘調査は浄教寺の建て替えに伴って実施され、古代文化調査会(神戸市)が約550平方メートルを調べた。家崎孝治代表は「秀吉の京都改造以前から春長寺はこの地にあり、ゆかりの寺院が段階的に近くに集められたように思える。寺町通の形成を考える材料になる」と話している。

【 2019年01月16日 09時00分 】

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