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白血病6歳弟救った骨髄移植 中学の兄と仲間がバンク普及運動

家族の穏やかな日常を取り戻し、バスケットボールに打ち込む3兄弟(右から青登くん、虹太くん、侑矢くん、京都市北区)
家族の穏やかな日常を取り戻し、バスケットボールに打ち込む3兄弟(右から青登くん、虹太くん、侑矢くん、京都市北区)

 3歳で白血病を患い、骨髄移植で命を取りとめた山岡虹太(こうた)くん(6)=京都市北区=の家族が、同じ病気で苦しむ人たちの助けになりたいと、骨髄バンクへの登録を呼びかけている。兄の青登(はると)さん(14)は中学の部活仲間と共に、タスキでバンクをPRする活動を始めた。「ドナーが見つからなければ生きられない人がいることを知ってほしい」。思いが誰かに届くことを願い、奮闘を続けている。

 虹太くんが患ったのは、血液をつくる細胞ががん化して急速に増殖する「急性骨髄性白血病」。風邪の症状が1週間以上続き、異変を強く感じ取った母紗恵子さん(39)が何軒も病院を回って血液検査で判明した。直後から始まったのは、厳しい抗がん剤治療。5人家族の日常は一変した。

 虹太くんは小さな体で抗がん剤の副作用に耐え、骨髄液を採取するつらい検査を毎月のように受けた。紗恵子さんは病院で泊まり込みの看病を続け、当時小学生だった長男青登さんと次男侑矢くん(12)にとっては母親のいない生活が突然始まった。兄弟2人だけで宅配の晩ごはんを食べる日もあったという。

 虹太くんは約半年の治療で退院できたが、わずか2カ月後、最も恐れていた再発が判明。治療の選択肢が骨髄移植だけとなり、移植に向けて再び抗がん剤治療が始まった。当初は抗がん剤が効かず、命が危ぶまれる状況に追い込まれた。そこで医師が最後の望みとして投与した薬が効き、移植への希望がつながったという。

 だが、肝心の骨髄バンクで白血球のHLA型が合致した候補者は、たったの1人だった。人数が少なければ、移植までたどり着く可能性は低い。時間の猶予がなかったため、型が完全には一致しない父智志さん(40)の造血幹細胞が移植された。

 手術は無事成功し、虹太くんは4歳の夏に自宅へ戻った。もし次に再発しても骨髄移植はできないため、家族にとっては不安と恐怖の日々が続いた。そして2年がたった今、ようやく穏やかな日常を取り戻せたという。

 闘病を通じて家族が痛感したのは、ドナーを見つけることの難しさだ。HLA型が一致する確率は血縁者で4分の1、非血縁者だと数百~数万分の1。兄弟2人も検査を受けたが型が合わなかった。ドナー候補が1人だと聞いたときのつらさを思い起こし、紗恵子さんはブログやチャリティーマラソンを通じてバンク登録を呼びかけるようになった。

 青登さんも自分にできることを探し、タスキでPRすることを思いついた。所属する西賀茂中(北区)バスケットボール部の遠征試合で身につけようと顧問や部員に相談したところ、多くの仲間が「一緒にやろう」と手を上げてくれた。青登さんとは小学校からミニバスケットのチームメイトだった生徒も多く、病と闘う一家を見守り、家族ぐるみで支えてくれた仲間だという。

 遠征では黄色のタスキを見て話しかけてくれる人も多く、そのたびに闘病経験やバンク登録の大切さを伝えているという。青登さんは「移植ができず亡くなる人もいる。タスキを見て一瞬でもバンクに関心を持ってもらえたら」と願いを込める。

 小学校に入った虹太くんはバスケットボールを始め、「プロの選手になりたい」と笑顔を見せる。紗恵子さんは「もうあかん、命が助からないと思うことが何度もあったけれど、骨髄移植で元気になってくれた。望む人全員が移植できるよう、ドナー登録者が増えてくれたら」と切に願っている。

【 2018年11月24日 12時34分 】

ニュース写真

  • 家族の穏やかな日常を取り戻し、バスケットボールに打ち込む3兄弟(右から青登くん、虹太くん、侑矢くん、京都市北区)
  • 骨髄バンクへの登録を呼びかけるタスキをかけ、遠征試合に向かう西賀茂中バスケットボール部の選手ら
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