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73年前の空襲で投下、焼夷弾破片を初公開 京都「戦争を実感」

手前の3点が焼夷弾の破片。奥は破片で作った道具類(南丹市美山町)
手前の3点が焼夷弾の破片。奥は破片で作った道具類(南丹市美山町)

 日本の敗色が濃厚だった1945(昭和20)年6月、アメリカ軍爆撃機が来襲した際の焼夷(しょうい)弾の破片が、現在の京都府南丹市美山町内久保で見つかった。73年間にわたり保管してきた地元男性が同町内の「平和のための美山戦争展」(8、9両日開催)で初公開した。「戦争の怖さを伝える遺品として、いずれは寄贈したい」としている。

 公開した男性は、当時の北桑田農林学校(現在の北桑田高)の2年だった下伊豆弘さん(88)で、休暇で帰省していたところ、内久保の実家で空襲に遭った。至る所から火の手が上がり、2軒が全焼、幼児1人が火傷を負った。約80発の焼夷弾が落とされたと見られ、空襲の理由は今も不明のままだ。

 焼夷弾の破片は3点ある。最も大きい破片で、全長64センチ幅32センチで重さは約1キロ。熱で黒くさびて飴のようにねじ曲がっている。空襲後は金属が不足していたため、鉄製の焼夷弾の破片をくわやスコップなどに加工して再利用した。その一部を下伊豆さんは保管してきた。戦争の記憶が風化する今、破片を多くの人に見てもらい、戦争の一端を実感してもらおうと公開した。

 下伊豆さんは「戦争の怖さを少しでも実感してもらえればと願っている。どこかに寄付して、次世代に伝えていきたい」と語る。

【 2018年12月17日 10時26分 】

ニュース写真

  • 手前の3点が焼夷弾の破片。奥は破片で作った道具類(南丹市美山町)
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