出版案内
福祉事業団
京都新聞AR

京商ビル玄関、大理石の「柱」どこへ 3月閉館、行方を追跡

3月中旬まで京商ビルの1階に立てて飾られていた柱(左)、富家さんが譲り受け、神明舎のエントランスに設置された京商ビルの柱(京都市上京区)
3月中旬まで京商ビルの1階に立てて飾られていた柱(左)、富家さんが譲り受け、神明舎のエントランスに設置された京商ビルの柱(京都市上京区)

 京都商工会議所が京都経済センター(京都市下京区)に移転し、3月に閉館となった京商ビル(中京区)で、玄関ロビーに飾られていた大理石の柱はどうなったのか―。読者からLINEを通じて京都新聞の双方向型報道「読者に応える」に質問が寄せられた。柱は、「関西建築界の父」と称された建築家・武田五一が設計した大正時代の2代目京商ビルから引き継いだ遺構として伝わる。いったいどうなったのか。行方を追った。

■建物設計者の息子に譲渡 今後公開方針

 烏丸通夷川上ルにある3代目京商ビル(1964年完成)は閉館後、ひっそりとしている。中をのぞくと柱はない。柱の高さは約2・6メートル。最近まで確かに玄関ロビーに飾られていたのだが、廃棄されたのか、移されたのか。

 京商に尋ねると、「柱はビルにゆかりのある人に譲った」とのこと。3代目京商ビルを設計した富家建築事務所の建築家・富家宏泰氏(1919~2007年)の次男で、「TOMIIE DESIGN」代表を務める四天王寺大准教授の富家大器さん(59)が柱を譲り受けていた。

 京都大工学部卒の宏泰氏は戦後の京都で数々の建物を手掛けた名建築家。京都府立総合資料館(左京区)や府立文化芸術会館(上京区)など公共建築を中心に携わり、京都新聞本社ビル(中京区)の初期設計も宏泰氏だった。

 京都帝国大に工学部建築学科を創設した武田五一の孫弟子にあたる宏泰氏は、2代目ビルの設計者である武田への敬意を払って、使われていた柱をあえて3代目ビルに残した。

 大器さんに譲渡された柱を見せてもらうために富家邸「神明舎」(上京区)を訪ねると、エントランスに大理石の柱が3分割して置かれていた。京商ビルにあった時から三つの柱が接着された状態だったため、分割して輸送したという。

 近く京商ビルは取り壊され、跡地はホテルへ姿を変える。大器さんは、京商が保存していた3代目京商ビルの模型も譲り受けた。今後、神明舎で開くイベントの折に公開する方針といい、「父が設計した建築がなくなっていくのはしのびないが、建物の記憶は人々の心の中で生きていく。残された柱は、近代化を目指していた時代の京都建築の名残でもあると感じ取ってほしい」と話している。

 なお、京商ビルにあった中央ロビーの照明や2代目ビル時代から残る暖炉、床の十二支モザイクも府内の個人や企業に譲渡されるといい、ビルの記憶は引き継がれる。

【 2019年04月12日 10時44分 】

ニュース写真

  • 3月中旬まで京商ビルの1階に立てて飾られていた柱(左)、富家さんが譲り受け、神明舎のエントランスに設置された京商ビルの柱(京都市上京区)
  • 大正時代に完成した武田五一設計による京商の建物(京都商工会議所提供)
岸田繁 交響曲第一番・第二番 連続演奏会 2019.10.5

    地域の政治・社会ニュース

    全国の政治・社会ニュース