Kyoto Shimbun 2002.5
W杯 韓国代表 朴智星の軌跡(2)19歳の決意

「海外へ」思い強く

 2000年4月、ソウル市内の焼き肉店で京都パープルサンガのチーム統括部長、木村文治(57)は、韓国・明知大サッカー部監督の金煕泰と食事をともにした。

 狙いは、韓国サッカーの現状把握。サンガの「助っ人」は長くブラジル人中心だったが、木村は韓国人選手への路線変更を模索していた。2人で会う約束だったが、金は1人の青年を同席させた。にきび顔で体格はきゃしゃ。「学生マネージャーだろう」。木村は気にも止めなかった。

 その青年が韓国五輪代表候補の朴智星だった。2日後、再会した金が告げた。「素質はある。Jリーグに行かせてもいいと思っているのだが」

 ソウルの南約40キロ。李氏朝鮮時代をしのばせる歴史の街、水原に生まれ育った朴は、小学4年からサッカーを始めた。1部の「特待生」しか入部できない韓国サッカー界の生存競争を勝ち抜き、水原工業高で全国優勝。サッカー界で新興勢力として力をつけていた明知大に進学した。エリートに興味なく

 韓国では、大学卒業後にプロ入りするのがサッカー選手のエリートコースとされるが、朴はそのレールに乗る気はなかった。「早くプロで、それも海外でプレーしたい」

 Jリーグ創設を機に急速に発展する日本のサッカーは、19歳の目に魅力的に映った。日本の植民地支配に関する歴史教育も受けてきたが、周りは歌やアニメなど日本文化であふれている。待遇、練習環境も韓国のプロサッカー、Kリーグより格段に良く、隣国で文化的な共通点が多いことも日本行きを後押しした。

 一人っ子だったが、両親は「自分のやりたいようにやれ」と反対はしなかった。同年5月、ソウル市内で行ったサンガへの入団発表は話題を呼んだ。韓国人選手のJリーグ入りは珍しくなかったが、19歳での海外チーム入りは当時の最年少記録。高卒Kリーガーはいたが、大学を休学しプロ入りするのは初めて。厳しい学歴社会の韓国では異例だった。

 韓国サッカー協会は、有望な若手選手には欧州行きを勧めている。韓国のサッカー事情に詳しいスポーツライター慎武宏(31)は「若手はよりレベルの高い欧州へ、という意見や、Jリーグの青田買いを危ぐする声もあり、朴の入団に韓国サッカー協会はいい顔はしなかった」と振り返る。日本行き 危ぐの声も

 しかし、朴に迷いはなかった。あどけなさが残る外見からは想像できない強い意志で、自分が選んだ新しい道を突き進んだ。(敬称略)


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