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「光秀に恨み」と市長 滅ぼされた恩讐、今月「和合の儀」

和合の儀が開かれる龍興寺。近くの山には八木城跡が残る(京都府南丹市)
和合の儀が開かれる龍興寺。近くの山には八木城跡が残る(京都府南丹市)

 南丹市と京丹波町に残る明智光秀ゆかりの地をPRしようと、両市町と亀岡市の商工観光団体が26日、南丹市八木町の龍興寺で「明智光秀丹波平定の道 和合の儀」と題した式典を開く。光秀に攻撃された負の歴史を克服する狙いで、3市町の首長らが苗木を手植えして石碑を建立する。

 光秀は1577(天正5)年に亀山城(亀岡市)を築城した後、内藤氏、波多野氏、赤井氏らが割拠する丹波国を攻略していった。しかし、丹波から見れば、光秀はプラス面ばかりとは限らない。南丹市には光秀に滅ぼされた内藤氏の拠点・八木城跡があり、光秀が周山城(京都市右京区)を築城した際、日吉町や美山町の寺院を破壊した記録が残る。京丹波町でも須知城攻撃の際に玉雲寺が焼失したと伝えられる。

 和合の儀はNHK大河ドラマの主人公に光秀が決まったことをきっかけに、3市町の商工団体と八木町観光協会が主催。八木城の落城で焼失した龍興寺で3市町の首長らが「和合」と記された石碑の除幕を行い、光秀の家紋のキキョウやボタン、ツツジの苗木を手植えする。玉雲寺や亀岡市の谷性寺でも苗木を植樹する予定だ。

 西村良平・南丹市長は「地域には光秀に恨みもある」と断った上で「大河ドラマの決定にあやかり、過去の遺恨は水に流したい。ゆかりの地に光をあて、南丹、京丹波に足を伸ばしてもらう取り組みにしたい」と前向きな姿勢を示す。

【 2018年11月23日 13時00分 】

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  • 和合の儀が開かれる龍興寺。近くの山には八木城跡が残る(京都府南丹市)
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