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黄檗宗の仏像から浄土宗高僧の書発見 江戸期の超宗派交流示す

修復の過程で首部分から巻物が見つかった釈迦如来像(京都市西京区山田・浄住寺)
修復の過程で首部分から巻物が見つかった釈迦如来像(京都市西京区山田・浄住寺)

 京都市西京区山田にある黄檗宗(大本山・万福寺)の寺院、浄住寺の本尊・釈迦(しゃか)如来像の首部分から江戸時代の浄土宗(総本山・知恩院)の高僧が書いた巻物が発見された。この時代盛んだった超宗派の交流を示しており、専門家も「興味深い発見」と話す。

 浄住寺は平安時代に開かれた。荒廃と復興を繰り返し、現在の境内は1697(元禄10)年に黄檗宗の僧侶、鉄牛(てつぎゅう)(1628~1700年)の住職就任に伴って整備された。

 釈迦如来像は台座を含め高さ約1・5メートル。今年1月以降、仏師が修理していたところ内部から巻物が見つかった。観音経などとともに、南無阿弥陀仏と書かれた「六字名号」と呼ばれる巻物が含まれていた。

 この六字名号には「黒谷さん」として知られる金戒光明寺(左京区)の36代法主寂仙(じゃくせん)(1644~1709年)の名が記されている。当時の黄檗宗は宗祖隠元(1592~1673年)が日本に持ち込んだ「念仏禅」と呼ばれる教えを受け継いでおり、現在では行われていないものの、阿弥陀如来について書かれた「阿弥陀経」を日常的に読んでいたとされる。

 阿弥陀経を読む共通点を持つことなどから、鉄牛の師で万福寺2代住職の木庵など黄檗宗僧侶は、浄土宗の僧侶と交流を持っていた。万福寺4代の独湛(どくたん)は「念仏の独湛」として知られ、金戒光明寺に絵を贈っている。

 鉄牛と浄土宗僧侶の交流の記録が見つかったのは初めてとみられる。浄土宗と他宗派の関係を調べる浄土宗総合研究所の田中実マルコス研究員は「黄檗宗の僧侶が宗派の壁を越え幅広く交流していたことを示す発見だ。阿弥陀如来ではなく釈迦如来像の中から六字名号が出てきたというのも当時の信仰を考える上で面白い」と指摘する。

 修復された仏像や納められていた六字名号は12月2日まで浄住寺で公開している。拝観料が必要。

【 2018年11月26日 17時00分 】

ニュース写真

  • 修復の過程で首部分から巻物が見つかった釈迦如来像(京都市西京区山田・浄住寺)
  • 釈迦如来像の内部から見つかった南無阿弥陀仏と書かれた「六字名号」。左下に寂仙の名が記されている
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