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東京へ「遷都」に揺れる世論 大久保利通の手紙

大久保利通から槇村正直に宛てた書簡の写し(京都市上京区・市歴史資料館)
大久保利通から槇村正直に宛てた書簡の写し(京都市上京区・市歴史資料館)

 明治維新で活躍し、新政府で重きをなした大久保利通(1830~78年)が、2代目京都府知事となる槇村正直(1834~96年)に宛てた書簡の写しが見つかり、京都市歴史資料館(上京区)が寄贈を受けた。明治天皇が東京に移った事実上の東京遷都後、皇后の東京行きを控え、反対派の説得や議論の沈静化を槇村に依頼する内容が記されている。

 槇村の血縁者から書簡の写しを受け継いだ知人が今年8月、同館へ寄贈した。同館が大久保や槇村の他の書簡で言い回しや筆致を確かめ、大久保の直筆ではなく、槇村が縦約17センチ横約90センチの和紙に書写したものと判断したという。

 書簡は、明治2(1869)年の6月10日の日付に加えて「大久保拝」「槇村龍山人殿」と記されており、天皇が2度目の東京行幸(明治2年3月)を行った後、皇后の「御東下」(同10月)までの間に書かれたとみられる。

 内容は、東京遷都への反対論について「愚昧之議論」とし、こうした意見が京都で沸騰することを懸念。槇村に対して、義理をわきまえ、篤志ある人物と持ち上げた上、議論を「却下鎮静」させ、庶民が職業に専念して働き、天皇が安心して東京にいられるよう力を尽くしてほしい、と要請しているという。

 大久保は遷都推進論者とされ、書簡を書いた翌月、政府の参議に就き、版籍奉還や廃藩置県などに奔走。槇村も同月、京都府ナンバー2の権大参事となって実権を握ると、その後府知事を長く務め、近代化や京都復興策を打ち出した。

 同館の秋元せきさんは「明治維新や近代化といった歴史の画期に関わった当事者が、京都の情勢を物語る貴重な資料だ。書簡の前半では遷都反対論を『愚昧』と表現するなど専制的な政治家とされた大久保らしい言い回しが目立つが、後半を読むと『精々説諭』といった丁寧に対応するよう求めている。京都の世論や動向に憂慮し、慎重に進めようとするさまが読み取れる」としている。

 書簡の写しは、同館で来年1月18日まで開催中のスポット展で紹介されている。入場無料。

【 2018年12月08日 18時18分 】

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