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平安京囲う「羅城」なかった? 京都、造営当初の痕跡出土

平安京と京外の境目を示す整地層が見つかった発掘調査。女性の前方側の地層は礫が多いのに対し、背中側の整地層は黄緑色がかった色を帯びている(京都市下京区)
平安京と京外の境目を示す整地層が見つかった発掘調査。女性の前方側の地層は礫が多いのに対し、背中側の整地層は黄緑色がかった色を帯びている(京都市下京区)

 平安京と京外の境目とみられる都造営当初の整地層の痕跡が、京都市下京区寺町通四条下ルで27日までに見つかった。整地層は、都を取り囲む羅城(らじょう)(周壁)を築くための規格に沿う幅だった。ただ、壁そのものの跡は確認できず、羅城で囲われた後世の絵図などと違い、実際は羅城が築かれなかった可能性を示している。

 寺院やホテルの新改築に伴い、民間調査会社の古代文化調査会(神戸市)が約550平方メートルを調べている。

 調査では、平安京東端の南北通り「東京極大路(後の寺町通)」の東の側溝跡(幅約2メートル)が見つかり、側溝のさらに東側で幅約6メートルの整地層が出土した。整地した際に特徴的なうぐいす色を帯び、京外に当たる隣接地とは違い礫(れき)がほぼ含まれていなかった。土器などの遺物から平安時代前期とみられる。周壁の痕跡は検出していない。

 平安京の羅城は、古い絵図で京域の四方を囲うように描かれることがあるが、実際には都の玄関口「羅城門」と周囲だけに整備されたのが通説とされる。10世紀の法令集「延喜式」では、羅城の規格は南限の九条大路にのみ付記され、羅城を挟む形で両側に設けられた平地「犬行(いぬばしり)」と合わせた全体の幅は約6メートルと定めている。

 今回出土した整地層と延喜式で定められた規格が一致することから、同調査会の家崎孝治代表は「平安京と京外の境目に、羅城を築造可能な整地をわざわざ行っていたことになる。造営当初はここにも羅城を築く意図があったものの中止した可能性があり、慎重に検討したい」と話している。

【 2018年12月27日 22時37分 】

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