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長岡京跡に有力貴族の邸宅か 正殿と脇殿2棟の跡見つかる

正殿跡から出土した柱穴。中心部に柱の一部が残るという(28日午後0時35分、京都市伏見区)
正殿跡から出土した柱穴。中心部に柱の一部が残るという(28日午後0時35分、京都市伏見区)

 京都市伏見区久我西出町の長岡京跡発掘調査で、掘立柱建物3棟の跡を確認したと民間調査会社が28日、発表した。南北2面に庇(ひさし)を備えた正殿のほか、脇殿が2棟あり、後に大きな力を持つことになる藤原氏など上中級の貴族邸宅跡とみられる。

 調査地は長岡京左京三条三坊十六町で、工場敷地約1200平方メートルを昨年12月から調べている。

 当主が居所とした正殿跡では22個の柱穴が見つかった。東西13・5メートル、南北12メートルの正方形に近い建物で、南北両側に3メートルの庇がついていたとみられる。さらに調査地から13メートル東側にも規則的な柱穴が並び、配列からそれぞれ東西4・8メートル、南北12メートルの建物2棟が南北に連なっていたと推定。一族が住んだり、家政機関が置かれたりした脇殿とみられる。奈良時代末期から長岡京期の瓦や土器が出土し、長岡京の遺構と判断した。

 発掘した民間調査会社の京都平安文化財(伏見区)によると、邸宅は1町(約120メートル四方)の半分の広さを占め、長岡宮南限に接した二条大路に近いことから、昇殿を許された上中級貴族が住んだとみる。

 平城京や平安京では、左京の二条大路かいわいに藤原氏の邸宅があった。元向日市埋蔵文化財センター長の山中章・三重大名誉教授(考古学)は「都城において、貴族は原則、それまでと同じような場所に邸宅を割り当てられた。木簡といった文字資料が見つからず状況証拠にすぎないが、平安期に摂関家として権勢を誇った藤原北家や、その立役者の藤原冬嗣に関連する邸宅の可能性はあり得る」と話す。

 遺構は、平安時代の貴族邸宅「寝殿造の原型」とするかどうかで見解の分かれる平安前期の平安京右京一条三坊九町(現山城高)の出土建物跡とも配置が似ていた。正殿と脇殿の間に流路を思わせる跡があり、同社は「古代の貴族邸宅の変遷を考える材料になる」とする。山中名誉教授は、寝殿造の原型を示す可能性について「敷地内には寝殿造に特徴的な池がなく、直接に結びつくものではないだろう」としている。

 現地説明会は3月2日午後1~3時。当日のみ現地携帯電話090(6675)6609。

【 2019年03月01日 07時00分 】

ニュース写真

  • 正殿跡から出土した柱穴。中心部に柱の一部が残るという(28日午後0時35分、京都市伏見区)
  • 長岡京の貴族邸宅跡とみられる遺構。手前に正殿、奥に脇殿の柱穴がある=京都平安文化財提供
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