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「日米修好通商条約」弁明で後悔の念 大老・井伊直弼のメモ発見

井伊直弼自筆の書き付け。日米修好通商条約について朝廷に送った文書の中身を後悔する内容が書かれている(彦根城博物館所蔵)
井伊直弼自筆の書き付け。日米修好通商条約について朝廷に送った文書の中身を後悔する内容が書かれている(彦根城博物館所蔵)

 江戸幕府の大老を務めた彦根藩井伊家13代当主の井伊直弼(なおすけ)が江戸城内の事務連絡のために自筆した小さな書き付けが井伊家文書に残されていることが、同文書を所蔵する彦根城博物館(彦根市)の調べで分かった。メモとして側近らに渡していたとみられ、専門家は「直弼のきちょうめんな性格を裏付ける資料」としている。

 同博物館によると、直弼の手紙などは同文書などに300通以上が残っているが、大老時代の書は少ない上、小さな書き付けは珍しいという。

 見つかったのは10点。大半は縦横15センチほどの紙に5~6行のみ記され、能の演目紹介の裏紙を用いたものもあった。

 側近にあてた書き付けは「京都への飛脚をまだ出発させていないのなら見合わせておくように。出発させた後ならそのままでよろしい」と記されている。同博物館は、重大な案件の手紙ではないが、飛脚に追加で託せたら、との意図だったとみている。

 他には将軍からのお達しが記された書類の写しや、まもなく城から退出することを伝える内容もあり、メモでこまめに指示連絡していた様子が伺える。

 直弼の心情が強く表れた内容もある。直弼が主導した1858(安政5)年の日米修好通商条約締結では、幕府は朝廷の許可を得ておらず、直弼は事後に朝廷へ弁明書を送った。同書について家臣に「条約についてあれこれ書いたのは当てつけがましくて良くなかった。(条約批准のための)使節を米国に遣わす、とだけ書くべきだった」と後悔の念を書き付けている。

 開国反対派を処罰した「安政の大獄」を断行するなど強権的なイメージがある直弼だが、同博物館の早川駿治学芸員は「表向きに弱音を吐かなかったとされる直弼の嘆息が、小さな紙から伝わってくる」とみる。

 直弼に詳しい末松史彦・聖泉大教授(日本史)は「メモのような形の直弼の自筆は珍しい。きちょうめんで筆まめな性格を補強する面白い資料」と話している。

 井伊 直弼(いい・なおすけ) 1815~60年。11代当主直中[なおなか]の十四男。青年期は彦根城下の埋木舎[うもれぎのや]で過ごし、学問や茶に秀でた。32歳で世継ぎになり、58年、江戸幕府の大老に就任して米国との貿易を認める日米修好通商条約を結んだ。登城の途中に「桜田門外の変」で暗殺された。

【 2019年06月12日 09時30分 】

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