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突然の投獄、青年の心崩壊 在日韓国人スパイ捏造事件

桂高の修学旅行で友人と肩を組んでほほ笑む金勝孝さん(左)。韓国留学後、この笑顔は失われた=友人提供
桂高の修学旅行で友人と肩を組んでほほ笑む金勝孝さん(左)。韓国留学後、この笑顔は失われた=友人提供

 男たちは、24歳の青年の下宿に突然現れた。1974年5月、夕暮れ時のソウル。いきなり2人がかりで青年の両腕をつかみ、車に押し込んだ。

 車はソウルタワーを見上げる南山(ナムサン)の麓に向かった。そこは、所在地から「南山」の隠語で呼ばれた韓国中央情報部(KCIA)の本部。車は暗いトンネルに入った。「ここを抜けると無事に帰れない」とも言われたトンネルの先で待ち構えるのは、「南山」の中でも特に恐れられた5局(対共捜査局)の拠点。ここの地下で、京都出身の韓国人金勝孝(キムスンヒョ)(68)=日本名金村勝孝=の将来は、人知れず暗転した。

     ◇

 「建設現場で働いてでも金を貯めて行く」。立命館大生だった勝孝の祖国留学は本人の強い希望だった。「語学を学びたい」。当初、家族は留学に反対した。当時の韓国は朴正熙(パクチョンヒ)大統領の軍事独裁。71年には京都出身の在日韓国人兄弟が北スパイ容疑で韓国当局に逮捕、投獄され、日本社会に衝撃を与えた。家族は「気をつけろよ」「向こう行って変なこと言うたらあかんで」と何度も忠告した。

 KCIAに連行されて25日後、日韓の新聞が勝孝の起訴を一斉に報じた。国家保安法と反共法違反。日本で北の工作員から「ソウル大に入学し学生に北朝鮮の優位性を宣伝せよ」などと指示され、実行した、という容疑だった。

 「勝孝が捕まった!」。父親には在日本大韓民国民団(民団)から連絡が入った。「すごく怖がりの性格やのに、スパイのわけがない」。しかし相手は海の向こうの独裁国家。どうすることもできなかった。

 半年後、勝孝に下ったのは懲役12年の重刑。光州刑務所に移送された後、ようやく面会がかなった。

 所長室で、父と兄が勝孝と対座した。やせこけた痛ましい姿。問いかけても、うんうんと、うなずくだけ。正視せず、何一つ訴えない。隣には所長が座る。最初、家族は「看守の前なので言いたいことが言えないのか」と思った。しかし、勝孝の心はゆっくりと壊れ始めていた。ついには面会した母にも、何も話さなくなった。

 81年8月に仮釈放となり、京都の自宅に戻った。親族全員が集まって歓迎会を開いた。「自分は何も悪いことしてへん。スパイはでっち上げや」。そして口をつぐんだ。精神状態はさらに悪化し、母は息子の精神科病院入院を泣く泣く承諾した。

 20年後に自宅に戻った。時代は21世紀になっていた。その間に一番上の兄、母、そして父が、無念の思いを抱えたまま他界した。兄の勝弘(76)が病院を訪ねて家族の訃報を伝えた。返ってきたのは、そっけない返事だけだった。

 韓国で起きたことは一切話そうとせず、その理由も分からない。勝弘は慟哭(どうこく)した。「こんなことがあっていいのか!。目上の家族には常に礼儀正しく、妹にも優しかったあの勝孝が、一番大切な家族の死に涙も流さず、葬式にも参列しない。悔しくてたまらない。韓国で一体何があったんや」(敬称略)

 <連載 暗夜行 在日韓国人スパイ捏造事件1> 祖国に夢を抱き、その祖国に裏切られ、心までむしばまれた在日韓国人が、京都市内で息を潜めるように暮らしている。40年以上も前、独裁政権下の韓国で「北のスパイ」のぬれぎぬを着せられ投獄された。今夏、ようやく汚名をそそいだが、なお「韓国行ったらやられる」とおびえる。かつての国家暴力の牙が魂に突き刺さったまま、今も陽の道に踏み出せないでいる。

【 2018年11月05日 17時00分 】

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