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長岡京造営の高位人物の家? 京都で建物跡発掘

高位な人物の邸宅とみられる建物跡が見つかった長岡京跡の発掘現場(長岡京市下海印寺)
高位な人物の邸宅とみられる建物跡が見つかった長岡京跡の発掘現場(長岡京市下海印寺)

 京都府長岡京市埋蔵文化財センターはこのほど、同市下海印寺の長岡京跡で、高位の人物の邸宅と推定される建物の跡が見つかったと発表した。出土品から、平城京から長岡京への遷都前後の建物で、長岡京の造営に関わった人物の仮住まいだったと考えられるという。

 調査地は、阪急西山天王山駅から北西約200メートル。長岡京では南西端に近い八条三坊十六町という場所に位置し、縄文~江戸時代の集落跡である伊賀寺遺跡の所在地に当たる。病院の建設工事を前に昨年10月から発掘調査していた。

 発見された長岡京期の掘立柱建物跡は、東西約10~15メートル、南北約13~24メートルの規模の3棟。各建物の柱の間隔が長く立派であることや、うち1棟には醸造用のかめを据え付けるための穴、敷地内に池の遺構なども見つかっていることなどから、公卿(くぎょう)など位の高い人物の邸宅だった可能性が高いという。

 一方、関連の出土品については、現地に近い谷田瓦窯(奥海印寺)で作られたとみられる長岡宮式の軒平瓦1点が含まれるものの、奈良時代後期から長岡京初期の特徴を持つ瓦や土器がほとんどだった。このため、今回見つかった建物について、同センターは「長岡京の造営に関わった人物が、地割りなどの整備が進むまでの一時期に住まいとして利用し、その後は中心部への転居とともに解体されたのかもしれない」などと推測している。

 長岡京の造営に当たっては、遷都後に暗殺された藤原種継らの公卿が中心的な役割を果たしたとされるが、今回見つかった建物の具体的な所有者については、文字資料が見つかっておらず分かっていない。

 本調査では、縄文~飛鳥時代にかけての建物跡や遺物も多く見つかっている。現地説明会は27日午前10時~正午。問い合わせは同センター075(955)3622。

【 2019年08月05日 13時00分 】

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