これが⽇本画!?戦後京都で⽕がついた⽇本画の反⾻的創造運動を紹介!

■創造美術(1948年創⽴-現在は創画会として存続)
「我等ハ世界性に⽴脚スル⽇本絵画ノ創造ヲ期ス」(会の綱領)
世界性に⽴脚する⽇本絵画の創造を標榜し、東京と京都の意欲的な⽇本画家が呼応して結成された在野団体。既存の画壇から脱却し、⾃由にして純粋なる環境を求めた。

 秋野不矩 《少年群像》 1950年 浜松市秋野不矩美術館蔵(前期展示)
 

■パンリアル美術協会(1949年 創⽴-2020年 解散)
「吾々は⽇本画壇の退嬰的アナクロニズムに対してここに宣⾔する。眼⽟を抉りとれ。四畳半の陰影にかすんだ視覚をすてて、社会の現実を凝視する知性と、意欲に燃えた⽬を養おう。」(パンリアル宣⾔)
京都市⽴絵画(美術)専⾨学校⽇本画科の卒業⽣が中⼼となって発⾜した前衛団体。意欲に燃える若⼿画家たちが、戦後の⾰新的運動として起こした。「パン」は「汎」を表し、「リアル」は「リアリズム」の意で、社会の現実を反映させながら、抽象表現や先端的な⻄洋美術を取り⼊れて⽇本画の再起を⽬指した。

三上誠《灸点万華鏡1》1966年 福井県立美術館蔵(後期展⽰)
 

■ケラ美術協会(1959年 創⽴-1964年 解散)
「20世紀後半は宇宙時代だ。地球上の争いのごときは、宇宙からみれば夫婦げんかにすぎない。ましてや⽇本の、しかもこの中の画壇の動きに⾄っては、まるで⼤海に浮かぶ⽔泡のようなものだ。われわれはこのような画壇の因襲を強烈な情熱で打破せんとする。」「その反抗を通じて、真にユニークな絵画を創造することだ。われわれは宣⾔する。」(宣⾔書)
京都市⽴美術⼤学(現・京都市⽴芸術⼤学)⽇本画科出⾝の若⼿画家らによって結成された前衛団体。グループ名の「ケラ(Cella)」は、ラテン語で「細胞」や「単位」を意味する⾔葉で、「細胞が分裂し、拡⼤するように、この運動があらゆる⼈たちに賛同される」という願いが込められている。「⽇本画」の概念にとらわれることなく、より広い視点から「真に創造的な絵画」を⽣み出すことを⽬指した。⽇本画の顔料だけでなく、油絵具やエナメル塗料、ビニール塗料、墨汁、ペンキ、さらには漆、蝋、⽯膏、布、ゴム、泥、ムシロ、⽯なども画材とした。

榊健 《Opus.63-4》 1963年(1990年再制作) 京都市美術館蔵(通期)