連載コラム「泉屋偶記」では、泉屋博古館や青銅器館(ブロンズギャラリー)の日常や舞台裏などの知られざるエピソードを、同館学芸員・山本氏がつづります。
第3回 芸術か藝術か
芸術の秋、というには程遠い蒸し暑さがつづいているが、美術館では秋の展覧会準備も佳境を迎え、学芸員にとってはもっとも慌ただしいといっても過言ではない日々がつづいている。
今秋の泉屋博古館ブロンズギャラリーでは、「金文の世界」と題した特別展示を開催する。今回はその紹介も兼ねて、すこし金文にまつわる話を書いてみたい。
「金文」と聞いて、ピンとくる方は読者のなかにおられるであろうか。金属に鋳造されたり刻まれたりした文字全般を中国ではそう呼ぶのだが、単に「金文」といった場合には、一般的に殷周時代の青銅器の銘文のことを指す。奇想天外な造形や文様が特徴の殷周青銅器の内側には、へこんだ線で文字が鋳込まれていることがあり、これがもう一つの重要な見どころとなっているのである。
金文は、いま私たちが日常的に使用している漢字の古い字形であり、その成り立ちや歴史を考えるうえでも興味深いヒントを与えてくれる。
泉屋博古館に所蔵される埶父辛簋(げいふしんき)は、穀物を盛るための器である簋(き)の一種で、やや深めの見込みの中央には3文字の銘文が入る。これが「埶父辛(げいふしん)」と読まれている。
銘文の1文字目に注目したい。右側に人がひざまずき、手に何かをもって捧げるようなポーズをとっているが、この字は「埶(げい)」と読まれている。中国後漢時代の字書『説文解字』には、埶は「種(う)える」の意味とあるように、この不思議な字形は人が苗木を植えようとしている姿をあらわしたものらしい。
「埶」はまた「艹」を足して「蓺」と書いたり、さらにそこに「云」を足して「藝」と書いたりすることもあるが、意味と読みは皆おなじ。金文の「埶」は、実は「藝術」の「藝」の古い字形なのである。
いまでは「藝」は画数のすくない「芸」の字に置き換えられることが多い。「芸」は本来は「ウン」と読み、香草の一種をあらわす字で、「藝」とは無関係の別字。もともとの字形に「艹」と「云」を足し、そこから本来の意味と音をあらわすパーツを引いて「芸」になってしまったわけである。
京都の老舗の美術出版社に芸艸堂(うんそうどう)があるが、これは本来の「芸」字の意味と読みにかなった用法といえる。芸艸堂は富岡鉄斎の命名らしいが、さすがというべきか。
似たような例として、東京藝術大学はいまでも「藝」の字を使いつづけており、それも一種の見識といえるかもしれない。しかし、数千年の漢字の歴史を振り返れば、字形の省略や別字との合流といった現象は、これまで数え切れないほど起きてきたわけで、いまさら「芸術」ではなく「埶術」と書くべきだ、などと主張するのはナンセンスであろう。言葉と同様、文字も時代に応じて変わっていくものなのである。
ちなみに、金文に忠実な字形とするならば、「埶」の右側は「丸」ではなく「丮(けき)」になる。「埶」という字形自体も後発のものにすぎない。
字形が「種える」という意味をシンボライズしている「藝」の字が、なぜ芸術やアートの意味でも用いられているのであろうか。
中国古代の貴族たちが身につけるべきとされた教養に、「六藝(りくげい)」というものがあった。『周礼』地官・大司徒によれば、六藝は礼・楽・射・御・書・数を指すとあるが(異説あり)、いずれも芸術やアートというよりは、実用の技術としての性格が強い。
もっとも、英語の“Art”にも「技術」や「コツ」といった意味合いが含まれている。その直接の語源となっているラテン語の“Ars”は、技術や芸術、学術全般をあらわす古典ギリシャ語「テクネー」に相当する語であり、本来両者に本質的な違いはない。それは古代中国においても同様だっただろう。
では「藝」の字に含まれる「種える」という意味と、芸術やアート、技術といった意味の間にはどのような関係があるのか。「種える」というのが「藝」字の本来の意味(本義という)であり、やがてそこから後者へと意味が拡張(引申という)した、と考えたくなるところではあるが、これに関しては不明とするほかない。古代の漢字においては、意味のうえで何らつながりのない語彙同士が、発音が共通するというだけでおなじ字にまとめられることもすくなくないためである。
しかし、こうした意味が一つの字に含まれていると知るとき、太宰治『正義と微笑』の「真にカルチベートされた人間になれ」という一節がふと思い起こされる。耕す(Cultivate)という行為と文化(Culture)や芸術を結びつける発想は、洋の東西を問わず存在したのだろうか。そうした空想にふけりながら、青銅器や金文を見るというのも悪くないかもしれない。
執筆:山本 堯(泉屋博古館 学芸員)
近日開催の展覧会
ブロンズギャラリー 中国青銅器の時代
ギャラリー3特集展示「金文の世界」
開催期間:2026年9月5日(土)~12月20日(日)
会場:泉屋博古館
料金:一般1200円、学生800円 ほか
休館日:月曜日(ただし9月21日、10月12日、11月23日は開館)
9月24日(木)、10月13日(火)、11月24日(火)
詳細は泉屋博古館公式ホームページにてご確認下さい。
