滋賀県立美術館で開催の「丸木スマ展 73歳からのアーティスト」のみどころを紹介します。
第1章 生命が躍動する丸木スマの絵で、あなたもきっと元気になる。
日々の暮らしの中で親しんだ花、野菜、犬、猫や虫などを自由奔放な色彩と構図で描いたスマの作品。最晩年の大作《簪(かんざし)》をはじめとする、画面全体に生命力が満ちあふれる「曼荼羅(まんだら)」的とも評される圧巻の絵画は、観る人に強烈なエネルギーを与え、何歳からでも表現できる喜びと生きる元気を届けてくれます。
第2章 スマを取り巻く人々や同時代の美術界に注目し、アーティスト・丸木スマ誕生の経緯に迫る!
73歳にして花開いた丸木スマの才能には、多くの人々が強い関心を寄せました。絵を描くきっかけを与え、画壇への出品を後押ししたのは、長男の丸木位里(いり)、その妻の丸木俊(※)という、ともに高名な画家であった息子夫婦です。
また、華々しいデビューを飾った後には、安田靫彦や金島桂華らの日本画家、さらには柳宗悦や式場隆三郎ら民藝運動の文化人たちがスマに熱い視線を送りました。
本展では、位里や俊による作品や家族の歩みを伝える写真をはじめ、同時代の文化人たちの評価や言説を物語る貴重な資料を、スマの作品とともに一挙紹介。多角的な視点から、希代の「お
ばあちゃん画家」の評価がいかに形成されていったのか、その背景に迫ります。
※丸木俊は、当初旧姓の「赤松俊子」として活動。丸木位里との結婚後も同名義を用いましたが、
スマの逝去を機に丸木姓を継いで「丸木俊子」と名乗り、その後さらに「丸木俊(戸籍名が俊)」へと改めました。
第3章 広島、原爆、夫の死
——スマの絵の背景にある、凄惨な戦争体験
色鮮やかでユーモラスな作品の背景には、70歳のときに広島の爆心地から約2.5kmの自宅で被爆し、その翌年に夫を亡くすという過酷な過去がありました。その凄惨(せいさん)な記憶を描いた作品にも注目し、2017年に発見された《ピカドン》のように、スマが直接的に原爆を描いた数少ない作品を、スマの言葉とともに展示します。
過酷な体験を経てなお、彼女が命の輝きを描き続けた意味を問い直します。
第4章 子どもと一緒に楽しめる!
創作コーナーに子ども向けガイドも。
展示の最後には、体験型の創作ワークショップコーナー「絵ハ誰デモ描ケル」(コーナー名は丸木俊の著作に由来)を設置。鑑賞後の余韻のなかで、子どもから大人まで誰でも表現する楽しさを体感できます。
また、丸木スマの絵を楽しみながら巡ることができる、子ども向けガイドも用意しています。
さらに会期中には、託児サービス付きの記念講演会やギャラリートークに加え、「子ども向けギャラリートーク」も開催。美術館内にはキッズスペースもあります。家族みんなで、美術館を楽しんでいただけます。
<作家紹介>
■丸木スマ(1875-1956)
広島県生まれ。農作業や船宿業に従事し、家族の暮らしを支え続けたのち、1945年に広島で被爆し、翌年夫を亡くす。1948年、73歳にして長男・丸木位里とその妻・丸木俊の勧めで初めて絵筆をとる。自然や生き物を独自の色彩と構図で描き、女流画家協会展や再興日本美術院展等で入選を重ね、70代にして異例の画壇デビューを飾る。1956年に81歳で没するまでのわずか9年ほどの間に、700点以上もの作品を残し、精力的に創作を続けた。没後もその作品は多くの人を魅了し続け、近年でも2008年に埼玉県立近代美術館、2011年に原爆の図丸木美術館、2017年に一宮市三岸節子記念美術館、2021年にベルナール・ビュフェ美術館などで個展が開催されている。